■蚊の見事な能力1(口器)
NHK教育テレビのミクロワールド(2007年8月放映)で、蚊が皮膚に針を刺して、血を吸い取る見事な動画を見て、いつかこの針の構造を電子顕微鏡で実際に見てみたいと思っていた。 前回(お御足を拝見します、ヒトスジシマカ編)の実験で採取した蚊を用いて、その観察を試みた。以下にその結果を紹介します。 ヒトスジシマカの頭部のデジタルカメラ像を図1に示す。口部から出ている2mmもの針が、血を吸う口器または吻(ふん)と言われている器官である。この口器がどのような構造でどのように血を吸うかを調べた結果を図2に示す。
蚊の頭部には、大きな黒い複眼と前部にはアンテナのような触角が、その下には触肢が、その下には長い口器が伸びている。蚊は通常は口器を用いて、密や植物の汁を吸って暮らしている。雌は産卵期に、卵を育てるために血液中のタンパク質が必要になり、吸血する。 図2上部に吸血の様子を示す。口器は実際に皮膚の中に差し込む刺針部と、それを包み込む下唇からできている。下唇はいわば刀の鞘(さや)の役目をしているようだ。皮膚に刺針を差し込む時は、下唇は外部で「く」の字に折り曲げられ、吸血後、刺針を再び被う。 図2の下部に示すように、刺針はさらに多くの部分からできている。血を吸引する管の役目をする上唇、上唇を被う二枚の大顎、刺すときに皮膚を切り裂く二枚の小顎、血が固まらないように唾液を注入する下咽頭。これらが束になって刺針を形成している。 1. 口器の外観の観察 始めに、口器の外観(下唇)を観察した。口器を正面から観察できるように試料をセットし、試料傾斜して、顔下面、正面、顔上面から観察した。
図3の白い矢印で示すのが口器先端部である。下唇の構造を詳細に調べるため、試料を傾斜しながら先端部に注目して観察した。口器は下唇で覆われ、下唇の表面は鱗粉で敷き詰められていて、先端部は円錐形で鱗粉が無く、毛で覆われていた。 口器先端を拡大して、下面から、正面から、上面からそれぞれ観察した結果を次に示す。
口器先端の毛は、皮膚に刺すとき、適当な場所を探ったり、固定するのに使われているのではないか。NHKミクロワールドでは先端部だけが独自に動いていた。図10で先端部の割れ目を正面から拡大して観察したが、刺針のほんの先しか観察できなかった。この割目から刺針が突き出されるのである。上唇は、管状に見えるが、棒に沿ってスリットが入り、刺針をそこから容易に出したり入れたりできようになっている。スリットは顔上面にあり、図12にスリットの様子が観察できる。図13,14は別試料の口器の中央部を観察したもので、スリットのようすがよく観察できる。 2. 口器の断面観察 次に口器の内部構造を調べるため、まず断面を観察した。従来法の安全カミソリで断面を切り出した。
図15は口器のほぼ中央部の断面写真である。下唇は楕円形で、大きな二部屋になっていて、一方の右側の部屋に刺針が入っている事が分かった。刺針部を拡大したのが図16である。参考書で得た構造(図2)と対応させて色分けしたのが図17である。口器の外側を被う下唇断面を桃色で塗った。下唇断面の右上に見える隙間はスリット部である。緑色で示した上唇断面は、左下部に重なった構造が見える。これは下唇と同じように、上唇も管状でなく、C字状であることが分かる。上唇の外側には、薄いがスリットを覆うように黄色で示す大顎が認められる。これは血を吸引する上唇のスリットから液が漏れないようにする役目をしているといわれている。上下唇のスリットは液が漏れる心配はあるが、管の太さを自由に加減できる利点があるのではないか。スリットは、我々が口に水を含んでも、唇をつむぐと水は漏れないようにできることから、密封性の機能が理解できる。 次に、下唇の刺針が入っていない第二の部屋の詳細を観察するため、少し試料傾斜をして観察した。
この部屋は、ほとんど空洞になっている。乾燥した試料でこのような構造が見えることは、生きているときには、液体が主成分のものが詰まっていると考えられる。さらに、図20、21で観察できるように、両端には小部屋が認められた。この小部屋の内面は円周状に縞模様が見える。ちょうど植物に見られる螺旋紋導管(タンポポのタネ(その2))に似ている。これらの器官がどのような機能を持っているのかが疑問になった。今まで見た参考書には、この第二の部屋の存在や機能の説明がない。 吸血をするときに、下唇はくの字に曲げられ、また元に戻される。この動作をするときに、第二の部屋は機能をしているのではなかろうか。すなわち、くの字変形を、部屋に液体を一杯入れたり、抜いたりして、実現しているのではないだろうか。興味ある構造である。 図22はスリット部を拡大して観察した像である。 次に別の断面試料で観察した結果を示す。
図23は図16に対応するが、試料が回転している。この試料も、下唇は楕円形で、刺針は下部に見える。上唇のスリット部は肉薄になり、確実に密着できるように仕組まれている事が分かった。この試料では、一方の小顎が破損しているので、上唇の上部に直径約2.5μmの穴が開いた下咽頭がはっきり見える。この管を通じて唾液を注入するのであろう。 3. 刺針先端の観察 皮膚の中に差し込まれる刺針の先端部の構造をなんとか観察したかった。採取した蚊のどの口器の先端からも刺針の先端は突き出ていなかった。そこで、ピンセットでつまんで下唇を取り去り、刺針先端を露出させることを試みた。解剖器具が通常のピンセットと安全カミソリしか準備していないので、この解剖はかなり困難であった。NHKのミクロワールドでも、刺針を分離するのに専門家が解剖器具を使ってかなり苦労をされたという番組製作者の話が掲載されていた。テレビでは図2下段に示すような見事な光学顕微鏡像が放映された。しかし、光学顕微鏡の分解能では詳細な組織観察はできていなかった。 十分ではないが、筆者が苦労して刺針先端を分離して電子顕微鏡で観察した結果を紹介する。 まず、吸血する管である上唇の先端の結果を。
図27、27は上唇の先端を側面から観察した結果である。注射針よりはるかにシャープで、鋭角で尖っている事が分かる。特に最先端部は10度以下の角度である。内側の溝の様子を観察するために、試料を少し手前に回転して観察したのが図27、28である。溝は樋のように半円形でかなり精巧である。 別の試料を解剖して、小顎を露出させる事もできた。その結果を紹介する。 調査した文献では、小顎はギザギザの刃があり、皮膚を切り裂くと書いてあるが、それを是非、この目で確かめたかった。 図29、30は小顎の内側から、図31、32は試料回転して小顎を外側から観察した結果である。
小顎のギザギザは想像以上に凹凸が激しく、厚みもあり立体的である、掘削機の刃を思い出す。皮膚に切り裂くだけでなく、切り開くという表現がふさわしい。このような形状では、切り開いていくときは良いが、抜き出す時には引っかかって抜け難いのではないかと心配になる。きっとこのエラのようなギザギザ組織は、抜く時には萎んで収まるようにできているのではないかと想像する。 以上、観察したかった蚊の口器の構造を、今まで光学顕微鏡で観察された結果よりかなり詳しく観察する事ができた。次回はもう少し多くの蚊を採取し、解剖の器具を工夫して、さらに詳しい観察をし、機能との関係を探索していきたい。 参考文献 1)NHK教育テレビ「ミクロワールド」:2007年8月放映「蚊 吸血の秘密」 2)宮城一朗:蚊の不思議、東海大学出版社(2002年) 3)荒木修:蚊の科学、日刊工業新聞(2007年) −完− | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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