■お御足を拝見します(ヒトスジシマカ その1)
今回は、ガラス瓶を登れない代表として、カ(蚊)を紹介します。 蚊については、以前、SEMアートギャラリーの部屋で、鱗粉の写真を数枚紹介した(夏の来訪者)。しかし、この時は、手ではたいて採取したので、脚の鱗粉などは剥げ落ち、口器もつぶれていて、詳細を観察する事ができなかった。二年前には、蚊を無傷で採取するため、ボウフラを虫かごの中で飼い、羽化するのを待つ方法考えた。この方法によって血を吸う口器の様子を観察することができた。 今年の8月、久しぶりに庭の手入れをした。夕方になったので、庭仕事用の防虫網作業服を着た。ちょっと休憩したとき、蚊が網の作業着に止まっているのを見つけた。人の匂いを嗅いで、血を吸いに来たのだ。この方法で採取できるのではないかと、さっそく虫取り網を持ってきて、蚊が近づくのを待った。身体を動かして追い払うと、寄ってきた蚊は、レンガ敷きのテラスに止まって、機会を伺っているようだった。その蚊を虫網で採取し、傷めないように虫網をつまんで100円ショップで買ったコショウ瓶に入れた。こうして、血を吸いにくるまで成長した蚊を5匹捕獲する事ができた。コショウ瓶に防虫用の紙に包んだナフタリンを1個入れたら、まもなく死んだ。ナフタリンは蚊にも致命的である事が分かった。 今回は、この蚊に犠牲になってもらい、足やその他の器官をじっくり観察することにした。 ・足裏の観察 まずは、ガラス瓶を登れない、お御足を拝見します。 図1は採取した蚊のデジタルカメラ像である。図鑑から判断して、上の写真で背中に白い線が見えること、下の写真で、脚が白黒の縞模様でありことから、ヒトスジシマカであると判断した。体長は5mmくらいだが、脚は長くその倍以上はある。胴から、腿節(たいせつ)、脛節(けいせつ)、第1符節、―――、第5符節、と7種の節が延びている。 最先端の第5節部をSEMで観察した。図2はその低倍写真である。足全体には、鱗粉がフリルのように覆っていた。
先端部を拡大すると、
鱗粉のフリルで覆われた足先に、鋭い二本の爪が出ている事が分かった。この爪の向きから、始めは爪の甲にあたる部分が接地するのではないかと思った(今回観察したほとんどの足はこのように爪が中に曲げられていた)。しかし、血を吸うときや物につかまる時は、爪を上げて肌にしっかり固定しなければならないので、爪の内側を接地するであろう。生きているときに、この接地する様子を観察しておかなかった事が後悔される。来夏の課題としたい。 甲の部分をよく見るため、試料を傾斜して、真裏面から観察できるようにした。その写真を図5-7に示す。
裏面から見た足先の鱗粉は、花びらのように見える。
見やすくするため、90度右に回転して、裏面をさらに拡大した像を図7に示す。人間に害虫となる蚊の足先が、こんなに美しいとは、新しい発見であった。 甲の部分は、我々の足のかかとのようで、密着できるような組織は見当たらなかった。いずれにしても、爪近傍の表裏には、ガラスに密着できるような組織は見当たらなかった。これでは、ガラス面を登る事ができないだろう。 次に、中足、後ろ足についても調べた。
中足、後足とも、前足と同じような形状であり、差は認められなかった。図12に、後足の裏面からの強拡大像を示す。この場合は、試料傾斜の関係で、背景が明るく写っている。 結局、蚊が、ガラスなどに密着できそうな組織は見当たらなかった。従って、ガラス面に密着して登ることは不可能であることが理解できた。 ・翅の鱗粉 せっかく無傷で採取したので、前回見た翅(はね)を詳細に観察する事にした。
図13は翅が背でなく、腹部に収められた状態の蚊である。図14は、別の蚊から切り取った翅の光学顕微鏡写真である。セロハンのように、非常に薄く、半透明であるためか、照明で虹色に光っていた。翅のまわりには、優勝旗の飾り房のような毛並みがある。
図15は、図13で示した蚊の翅部をSEM観察した結果であり、図16は、図14に示した翅のSEM像である。房のように見えるのは鱗粉で、ほとんど無傷で観察できていると思う。 これらの鱗粉の詳細を調べることにした。
図17は図16で観察した翅の先端部である。翅の周囲には、縁取りされたように鱗粉がきれいに並んでいる。また翅の中は、ちょうど葉の葉脈のような筋があり、そこには鱗粉の房が付いている。図18で示すように、縁取りの鱗粉(G)と葉脈上の鱗粉(H)を拡大して観察した。まず、G部の結果を、
外周の鱗粉を拡大すると、両端が尖ったヘチマ(糸瓜)のようである。さらに拡大すると、図21,22では、ヘチマタワシのように、長手方向に太い桟のような筋があり、その間には細かい繊維状の筋があることが分かった。 蚊という漢字の語源が、蚊が飛んでくるとき、ブンブン(文)という音を出すことに由来していると言われているが、そのブンの音はこの鱗粉が風を切るときに生じるのではないだろうか。 次に、翅表面のH部の鱗粉を拡大観察した結果を図23-28に示す。
H部の鱗粉の形状はヘラのようで、そこにもヘチマタワシのような筋模様がある事が分かった。強拡大像の図28では、桟の間の筋が立体的に張りめぐされているように見える。次回には、鱗粉の断面観察やステレオ観察を試みたい。このような立体的な筋構造で、薄いながら強靭な鱗粉ができているのであろう。 ・胴の鱗粉 翅の鱗粉に、複雑な模様がある事が分かると、胴体の鱗粉はどうかという疑問が生じた。蚊は、足や翅だけでなく、胴体全体も鱗粉で覆われている。胴体は地が真っ黒な鱗粉であり、ところどころに白い柄がある。まず、デジタルカメラの像から見てほしい。
図29で、背部にも、腹部にも、黒地で白い柄が認められる。図30は、腹部を切り取って試料台に固定したときの光学顕微鏡像である。黒地は照明で茶色に見える。白い柄は、綿玉を付けたように見える。図30で示す試料を用いて、SEM観察した。
図30と同一視野を観察したのが図31である。図30の黄色、青色の矢印で示した白玉は図31の同じ色の矢印に対応する。光学顕微鏡像と比べると、白い柄の部分は、SEM像では、鱗粉が束になって反り返っている部分に一致した。図32では、三ケ所の反り返っている鱗粉束がさらにはっきり観察できる。 そこで、白い鱗粉と黒い鱗粉の形が変わっていないかを調べることにした。
図30,31の黄色の矢印で示した白い鱗粉柄部に注目し、白い鱗粉と黒い鱗粉の境界と思われる場所AとB(図34)を詳細に観察した。図34-36はその拡大像である。
図36では顕著にその差を見る事ができる。図36で、右側の鱗粉は黒いと思われる鱗粉で、左側は白いと思われる鱗粉である。両者の地の模様に顕著な差がある事が分かる。 他の境界と思われるB部を拡大したのが図37-39である。
この視野でも、図39で分かるように、上部の白い鱗粉と下部の黒い鱗粉の模様に差が認められる。A,B部の観察から言えることは、黒い鱗粉の微細模様は、翅の鱗粉で観察したような太い桟とその間に張り巡らされた筋模様があるが、白い鱗粉には長手方向の太い桟だけで、その間には細かい桟がなく、皺のような構造のみが認められることである。 これら二種類の鱗粉がどのように分布しているかを、図33の視野で調べた。その結果を図40に示す。●で示す鱗粉は、筋模様がある鱗粉で、○で示す鱗粉は、太い桟の間に筋模様がない鱗粉を示す。この結果、図30,32で示す白く反り返っている鱗粉と、図40の○印の鱗粉の分布が良く対応している事が分かった。すなわち、光学顕微鏡で白く見える柄は、白い鱗粉で、その微細構造は黒い鱗粉とは異なり、比較的平坦な表面を持っていることが分かった。 鱗粉の色は、一般にそこに含まれる色素によって決まる。モルフォチョウの鱗粉の観察(モルフォ蝶の鱗粉)で、青い色が微細な構造による構造色である事を知った。蚊の鱗粉の白と黒の色は、色素によるものか、それとも反射の有無による構造色によるものであろうか。来年の夏の蚊で詳細を調べてみたい。 次の更新では蚊の観察その2として、蚊が血を吸う口器の観察結果を紹介する予定である。 −完− | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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