■モルフォ蝶の鱗粉の構造 前回、ひょんなことから蚊の羽根をSEMで観察した時、想像もしなかった美しさ、複雑さに取り付かれてしまった。昆虫については、子供のころトンボや蝉を捕まえたりした経験があるだけで、ほとんど知識がなかった。なんとか昆虫との取掛かりがないものかと思っていたとき、知人から、元岡崎国立共同研究機構生理学研究所に勤めておられた大平仁夫氏を紹介していただいた。大平氏は趣味で昆虫を採取され、ライフワークとしてコメツキ虫の研究をされている。無理なお願いであったが、太平氏のご自宅の研究室を訪問することができた。ご自分の机には、昆虫を分解して構造を調べる道具類、棚には採集された膨大な標本が収納されていた。幾つかの標本を見せていただいた中で特に、鮮やかなセルリアンブルーの羽根をもったモルフォ蝶の美しさに魅せられてしまった。あまりに物欲しそうに見とれていたからか、帰る時に、モルフォ蝶、モンシロ蝶、コガネムシなどをプラスチックのケースに入れてプレゼントしてくださった。 モルフォ蝶を図鑑で調べると、この美しい色が特殊な構造からできているためと書いてあったので、早速自分の目でそれを確かめたいと思った。 まずは、デジカメで捕らえた美しいモルフォ蝶を見てください。色だけでなく、光沢もすばらしい。構造の比較のため、なじみがあるモンシロ蝶と比較しながら観察した。
次にモルフォ蝶とモンシロ蝶の羽根の一部を切り取り、ルーペで覗いてみた。
下辺が羽根の端である。端に0.1mmくらいのピッチの平行な線が見える。 確かに、鱗粉が屋根瓦のように規則正しく並んでいる。モルフォ蝶では、鮮やかなセルリアンブルーとコバルトブルーの細かい瓦が敷かれているようである。モンシロ蝶では光の加減か、鱗粉はわずかにクリーム色をした瓦に見える。 まず両者のSEM観察した結果を示す。
SEM像では右側が羽根の端である。モルフォ蝶の鱗粉は約180x75ミクロン(μm)の長方形で、モンシロ蝶は100x55ミクロンくらいの花びらのような形をしていて、いずれも瓦のように一部重なりながら、規則正しく敷き詰められている。ルーペで見えた線はこの像では鱗粉列の縦縞で、その周期は約0.1mm(100μm)である。 次にモルフォ蝶の鱗粉をさらに拡大して観察した。
一枚一枚の鱗粉の根元はちょうど団扇のように、柄のような棒が羽根の下地に開いた穴にきっちりと入り込んで固定されている。鱗粉には非常に細かい縞が認められる。 モルフォ蝶では鱗粉の間に針状の組織が見える。これにも細かい縞が認められることから、一種の鱗粉と思われる。 モルフォ蝶とモンシロ蝶の鱗粉中央部をさらに倍率を上げて観察すると、
モルフォ蝶では約1μm周期の縞状構造が見えてきた。竹製の垣根や天井のように、節のような凹凸がある棒が平行に並んだ構造である。また、苗を植えた畑の畝のようにも見える。この構造をここでは畝(うね)構造と呼ぶことにする。 一方モンシロ蝶は障子のような構造で、桟の間隔は約3.5μmで、その間に0.7〜0.8μm間隔で細い桟が張り巡らせてあるようだ。さらに細い桟には破れた障子ように付着物がいたるところにある。図鑑によれば、これは雄だけが持つ発香鱗と呼ばれるもので、雌を引きよせる香りの基が入っているとの事である。 さて、モルフォ蝶の鱗粉の構造をさらに詳しく調べるため、約1μm周期の畝構造を断面方向から観察することを試みた。 試料を垂直に立てて固定できる試料台に羽根端を上向きにして固定し、その断面を安全剃刀で切りだした。その試料を羽根の端方向から観察した写真を次に示す。
手前が鱗粉を切り取り、断面を出した切断面である。後方には、鱗粉が瓦のように重なっているのがわかる。この切断面を手前から観察すると畝構造の断面が観察できた。 下の図は、切断した鱗粉を断面方向から観察して畝構造を撮影した写真である。
とにかく、畝構造の複雑さに驚いてしまった。各鱗粉は、しわがある下地膜の上に、土台状の足場があり、その上の床の上に多層構造が見事に並び建っている。これは鱗粉表面に見えた畝構造の断面を見ていることになる。畝断面は寺院の多重塔を思わせる。また規則的に列を成しているのは半導体のプロセスで使うレジストパターンのようでもある。多重塔構造は約250nmの間隔で8〜9層ある。 インターネットでモルフォ蝶について調べたところ、この多層膜構造について、大阪大学の木下修一教授が詳しく調べ、青色などの一定の色に見える理由を見事に説明されていた。(主な文献:木下修一:構造色とその応用、O plus E 23,298-301(2002)) そこでは、多層膜構造を棚構造と呼び、その構造では組織の屈折率と間隔から、垂直に光を入れたとき、もっとも強く反射する光の波長は480nmになり、青色に見える原因となることが説明されている。しかも、各列は規則的に見えるが、正確には上下の差や傾きがあり、各列の光が干渉するほど規則的でない(非干渉)ことから、どの方向から見てもきらきらと同じ色だけが見える理由であると説明されている。このように、特殊な構造によって、特定の波長の光だけを反射して見える色を「構造色」と呼んでいるとの事である。すなわち、光の波長より小さい微細構造、規則と不規則の共存で構造色が発生するのである。自然は大昔からナノテクそのものを持っていたとは驚きである。 さて、この構造をもう少し詳しく見ているうちに、さらに面白いことが分かった。断面が切れていない鱗粉の先端をみたところ、多層膜構造の始まりの部分が見え、表面に突起があることが確実に分かった。また柄に近い側部を斜めから見たところ、多層構造は下地に並行な平板の重なりではなく、全体にわずかに斜めに傾いていることが分かった。平面から畝構造を観察したときに見えた節状の組織、先端から見たときに表面に見える突起は、実は斜めにつまれている層の表面に突き出た層の端であった。
無謀なことではあるが、畝構造の長手方向の様子を調べるため、畝に平行な断面を安全剃刀で切り出してみた。畝に沿って切れた断面試料はなかなかできないが、偶然に切れている場所があった。その場所の写真を次に示す。
多層はほぼ平行に重なっているが、10μm程度の幅広い領域をたどると、やや傾斜しているのがわかる。 100μ以上の畝断面の多層膜状態を撮影し、パソコン内で長さ方向に圧縮をして、畝方向の多層膜の傾斜状態を調べた。その結果を下に示す。
この写真は多層膜の畝方向の傾斜を調べるため、横軸は18分の1に縮小してある。こうすると一見並行に見えた多層膜が傾斜している様子が分かる。右上から左に傾斜している縞が多層膜を示す。多層膜のところどころに白く見える縦線は、完全に平行な断面でないため、隣の畝を切っているためである。多層膜の傾斜の様子を見ると。傾斜の角度は圧縮した状態で界面(床面)に対して30〜45度、実際の角度に換算すると、2〜3度と畝により異なり、しかも、同じ畝内でも、直線ではなく曲線になっていることが分かった。もし多層膜が畝方向に完全な平行平板であれば、畝方向には干渉が生じ、別の波長も反射する可能性がある、しかし、同じ畝内でも傾斜している多層膜は、わずかに波打っていることから、畝方向にも干渉性は少なくなると考えられる。畝ごとにも傾斜が異なることから、全体としても畝方向の干渉性は少ない構造であることが分かった。したがって多層膜構造から反射する青色の光は、面内での干渉が少ないことが分かる。すなわち、表面からどの方向にも青色のみが放出されることが説明できる。 この程度の傾斜が本当に干渉性を悪くするのかは、実際にシミュレーションをされている木下先生にお聞きしたいものだ。 いずれにしても、モルフォ蝶の雄は雌に求愛するため、ハイテクも顔負けのすばらしい構造をしていることが分かった。神様の創造力に感服した。 それにしても、ミツバチなどは赤外線しか見えないため、花の色は赤色にしか見えないと言われているが、モルフォ蝶の雌は、あの鮮やかなセルリアンブルーを本当に魅力的だと見てくれているのだろうか? −完− | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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