■生に近い状態でのゼラニュームの観察
前回、ハーブの観察をしたが、その時気になった事は、匂い玉やそれを支える茎などが真空中で水分が抜けて、萎んでしまう事である。特にゼラニュームの観察では、特徴的な円錐形の茎の上に匂い玉があり、その玉が陥没したり、円筒型の茎はひしゃげて板状になって観察されることが多かった。何とかして、光学顕微鏡で観察できるような生の状態の匂い玉が観察したかった。電子顕微鏡で生に近い状態で観察する方法はいくつか考案されている。一つは高真空観察のためで、あらかじめ細胞を試薬で固定し、その後、臨界点乾燥法や凍結乾燥法などで脱水する。この方法は高価な設備と技術が必要であり、専門的になる。二つ目は試料室内を数〜数十パスカルの低真空にし、さらに試料を冷却して水分の蒸発を軽減して観察する低真空法である。この方法では、チャージアップの影響を避けるため、主に反射電子像で観察する。今回、私の小型SEMに付け加えた低真空観察装置を使って予備実験をした。試料室は低真空用のロータリーポンプと高真空用のターボ分子ポンプと別々の配管がされていて、両者を自由に調整して目的の低真空が得られる。また対物レンズの下面には反射電子の検出器が付けられている。 私は今まで、植物でも単純に試料にイオンコーティングをして、高真空で二次電子像を観察していた。実験の最初は、数十パスカル中の試料を反射電子像で撮影してみた。確かに無蒸着で観察できるが、私は反射像になじめず、また分解能も不満であった。次に二次電子像での観察を試みた。低真空で二次電子像を観察する弱点は、二次電子検出器が放電することである。それは二次電子を加速するため、前面に10kVの電圧を印加するからである。真空を少しずつ下げながら、放電が始まる真空を調べたところ、私の装置では、約7パスカル以上で放電が始まり、10パスカルで像の観察が難しくなった。つまり7パスカル以下で二次電子像が観察できることが分かった。 そこで、試料室を6パスカル程度のやや低真空でゼラニュームを無蒸着で観察することを試みたところ、萎むなどの変形が少ない、かなり良いデーターが取得できたので報告したい。 ・茎と葉の匂い玉
図1は我が家の居間で咲いているゼラニュームである。図2の光学顕微鏡像から分かるように、葉を支えている茎の匂い玉(学術名は腺毛)は透明な円錐状の茎の上に球体、または楕円体の透明またはやや黄色みかかって観察できる。これと同じようなSEM像が撮影したい。 次の写真(図3〜8)は、順次拡大してSEM撮影した茎表面の匂い玉である。試料室の真空は約6パスカルであった。
従来は凹んでいたり、萎んでいたりする匂い玉像が、きれいな球状として観察できた。茎も高さ約300μmの円筒体または円錐体に見える。構造はドングリのように受け皿とその上に精油と思われる直径約35μmの球状の構造が認められた。その境界には凹凸が認められる。これらは光学顕微鏡で観察できなかった微細構造である。またチャージアップ現象がなくて観察できたのも意外であった。試料に水分が残っていて、それが伝導性を良くしているからであろう。 次に、葉の表面の匂い玉を観察した。 図9は光学顕微鏡で斜め上から観察した葉の表面の匂い玉である。匂い玉もそれを支える茎もほぼ透明である。図10は葉の表面のSEM像である。表面に約300〜500μm位の長い茎がしっかり直立し、その上に匂い玉がある。この視野を順次拡大して撮影した結果を図10〜14に示す。
その他の視野の匂い玉を図15、16に示す。
匂い玉の茎の基にはこれから成長すると思われる子供が多数認められた。その拡大像を図17、18に示す。
葉の匂い玉も茎の匂い玉と同じような形状をしていた。ここで、私が嬉しかったことは、匂い玉を従来より変形しない状態で撮影できたことである。これは水分の蒸発が軽減されたことによると思う。ただ6パスカルはそれほど低真空ではないのに、なぜこのような効果があったのか不思議に思う。 匂い玉が上手く撮影できたので、葉の表面にある気孔も撮影した。順次拡大して観察した結果を図19〜22に示す
従来は気孔の周りは脱水された影響で細胞表面に皺が多かったが、この像では皺はほとんど認められない。水を含んでいるためか柔らかそうな像で、光学顕微鏡像にかなり近い像が得られた。 この結果から、さらに花も見てみたくなった。 ・花弁の観察 上で紹介したように、匂い玉を従来より変形が少ない状態で撮影できたので、さらに花も光学顕微鏡で観察できる生に近い状態で観察できないかと試みた。 まずゼラニュームの花弁表面を観察した。図23は一輪の花のデジタルカメラ像である。この花弁を試料台に固定し、そのまま約6パスカルの真空中で順次拡大して観察した。その結果を図24〜28に示す。
花弁表面の拡大像を見てびっくりした。直径20〜30μmの細胞から構成され、図28のように傾斜している場所を見ると、乳房に似た、突起状である事が分かった。図25、26から花弁表面は200〜500μmくらいの周期で下地に凹凸があり、その表面に20〜30μmの突起状の細胞が詰まっている事がわかった。従来の観察では、この突起状の細胞が萎んでいて、このような構造は観察できなかった。インターネットで見る光学顕微鏡像では、真上から観察しているのでこの突起状の細胞が円状に見えるだけである。SEMでは深度が深いので、立体構造も良く見える。図27で突起細胞の周囲に細かい凹凸が認められるが、光学顕微鏡像でそれと同じような写真があることからも、これらSEM像は、生の状態に近い写真と考えられる。 ・雄蕊と雌蕊 花弁が上手く撮影されたので、さらに雄蕊と雌蕊が見たくて試みた。
図29は花の中央部の写真である。中央の柱状構造が雌蕊であり、周りの黄色く見えるのが雄蕊である。花の咲き始めでは、雌蕊は雄蕊の中に隠れているが、間もなく雌蕊は雄蕊を押しのけて図29のように長く成長する。この際花粉が着けられ、自家受粉できる。図30は図29と同じ方向から撮影したSEM像である。SEMでは焦点深度が深いため、全体に焦点があった写真が得られる。 雌蕊が雄蕊を押しのけて成長するが、その時雄蕊が開いて花粉を露出する準備ができていなくて、受粉できていないケースが多かった。 まず受粉できなかった雌蕊の柱頭表面構造を観察した。その結果を図31〜34に示す。
雌蕊の柱頭の表面は指のような構造が沢山生えていた。指構造の大きさは直径が約15μmで長さが約60μmである。どれも萎んでいなくて、おそらく生に近い状態であろう。この沢山の指構造に花粉が付着して受粉されるのであろう。 次に、雌蕊の奥にある雄蕊の葯(やく)を観察した。その結果を図35〜40に示す。
花粉が無造作に積まれた構造でもチャージアップしないで撮影できたのが意外であった。図40から、ゼラニュームの花粉の表面は凹凸が激しく、皺構造になっている事がわかった。他の構造の観察経験から、この皺は脱水によって萎んだために生じたものではないと考える。 図35で、雌蕊の花柱の根元の子房部に毛のような物が沢山あり気になったので、それを拡大して観察した。結果を図41〜44に示す。
子房の表面に生えている毛と思った構造を拡大してみると、茎や葉の表面で観察した匂い玉と同じような構造であることがわかった。ここにも匂い玉があるのだ。虫を引き付ける匂いや蜜を出しているのであろう。 ・受粉のようす 前にも述べたが、雌蕊が雄蕊を押しのけて伸びるときに、雄蕊の準備ができていなくて受粉ができていない場合が多かった。このゼラニュームは室内で育てているので、受粉に寄与する虫がいない環境である。そこで、水彩画を習ったときに使った柔らかいコリンスキーの筆で、花の中央を少し撫でて、人工授粉をさせた。その結果を次に示す。
図45でわかるように、人工授粉した柱頭部にはたくさんの花粉が付着していた。拡大して花粉の様子を観察したところ、花粉の一部から管が伸び、雌蕊の指構造に繋がっていることがわかった。この伸びた管が花粉管なのであろう。花粉管が雌蕊に結合している様子を始めて観察でき、興奮した。 他の雌蕊についても同じように受粉している様子を観察できた。別の花の例を次(図51〜54)に示す。
ここで注目すべきことは、花粉管は花粉の特定の表面から出ていないことである。図49では、花粉の窪み部から出ているし、図50では窪みから少し離れたところから、図54では窪みからかなり離れた横部から出ている。しかも花粉表面には割れ目は無く、表面から芽が出ているようである。花粉管が出ている場所の内部も是非見たいものだ。 ・受粉に関する考察 参考書によると、花粉管はどんどん長くなり花柱の中を進み、やがて胚珠にたどり着く。その花粉管を通して精細胞を卵細胞に送り込むようだ。 しかし、花粉管はどうして上手く卵細胞にたどり着けるのだろうか不思議に思った。インターネットで調べたところ、名古屋大学の東山哲也教授が花粉管を胚珠に誘引する物質を発見されたという記事を見た。2009年にNatureに発表された。その解説記事を科学技術振興機構のJST Newsとプレス一覧で見ることができた。 http://www.jst.go.jp/pr/announce/20090319/index.html http://www.jst.go.jp/pr/jst-news/2009/2009-06/page05.html 胚珠にある卵細胞の隣の助細胞からタンパク質である誘引物質(ルアー)が分泌されることを世界に先駆けて発見した。それにしても、たどり着くまで、長い花柱中をどのようにして進むのであろうか。花柱の中にも花粉管を誘導する仕組みがあるようである。生物の受精の神がかりのような仕組みを間近に観察することができた。 今回のやや低真空での観察法から、試料前処理や表面処理をしなくても細胞の破損が少ない、生の状態に近い観察の成果が得られたことは、私としては驚きであり、嬉しかった。この方法がゼラニュームだけでなく他の植物にも適用できないか、今後実験を続けたい。 -完- | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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