■樹木に突き刺す蝉(アブラゼミ−産卵管)
蝉は樹木に口吻を突き刺して樹液を取り込むが、もう一つ突き刺すものとして、産卵管がある。間違って電気のケーブルに穴を開ける被害があるように、かなり強固な産卵管を樹木に押し込んで産卵をするようである。今回は、その産卵管がどのような構造になっているのかを調べた。 図1は雌の蝉の腹部からの外観写真である。生殖器部に口吻よりやや細くて短い産卵管が見える。拡大して観察したのが図2である。蝉によっては、産卵管が下の隙間に格納されているのもあった。産卵の時期になると成長して外に露出するのであろう。
図2の産卵管をピンセットで剥がし取ったものを図3に示す。産卵管の長さ約7mmで太さは約0.5mmで、腹側にややカーブしている。
光学顕微鏡で産卵管の先端を撮影した写真を図4に示す。先が尖り、両側にはギザギザ構造があり、矢先のようである。色は光沢のあるベッコウ色で、おそらくコラーゲン繊維でできているのであろう。 ・産卵管先端部の構造 まず、樹木に穴が開けられる先端の構造を詳しく観察した。 図4で観察した試料をSEM観察した結果を図5に示す。この試料を裏返して腹部側から観察した結果を図6に示す。さらに両面の拡大写真をそれぞれ、図7,8に示す。
外側から観察した周期的な凹凸は、腹側には溝構造があることが分かった。穴を開けるときには、この腹側がまず樹木に当たるので、この構造は有効だと思う。 さらに詳しく調べるため、側面からも観察した。使っているSEMは試料回転が容易なので、このような観察には大変便利である。
図9,10は異なる側面から観察した像で、その拡大像を図11,12に示す。図9,11では下面が、図10,12では上面が腹側である。 この先を用いて樹木に穴を開ける様子を考察する。インターネットで蝉が産卵している写真が多く掲載されているが、そのどれもが、産卵管を樹木に約45度の角度で突き刺している。図11を45度傾斜すると、図13のようになる。
図13は、蝉が樹木に押し付けて穴を開ける産卵管と樹木の関係を推定したもので、先端はかなり浅い角度で樹木に入ることがわかる。この状態はノミで木に溝を掘るときに似ている。ドリルで穴を開けるというより、木を削ぐようにして穴を開けることがわかった。確かにこの方が弱い力で容易に穴を開けられる。インターネットで見る蝉が産卵をした後の樹木の穴部分が、毛羽立っている理由も説明できる。実に巧みな構造をしていることが分かった。 ・産卵管の断面構造 産卵管の中身がどのような構造になっているかを知りたくて、断面観察をすることにした。 まず、産卵管はSEMの試料台より長いので、3分割をした。それらの片を先端部、中間部、後部と呼ぶことにする。各々の片を試料台にテープで固定し、観察しては安全カミソリで切り取る工程を繰り返して、順次断面を観察した。しかし、切断の際に、試料が割れたり、歪んだりした。特に後部に行くほど空洞が大きくなり、切断が難しかった。 次に、順次、断面観察した結果を示す。
図14は産卵管の先端部片の平面写真である。切断場所をX1〜X4で示す。 図15は切断前の正面像であり、新幹線の先頭列車を思わせる。X2〜X5は順次切断して撮影した断面写真である。
産卵管の先端部は、中央に卵を運ぶ産卵管本体と、木に刺し込むときの支え枠が左右にある構造であることが分かった。産卵管本体の中には、卵が通る輸送管があり、図19のX5の場所では二つの穴に分かれている。さらに本体の両側には、ガイドレール(図18)と思われるレール状の突起があるのが特徴である。支え枠に支えられて、本体が前後(長手方向)に動くのであろう。 次に中間部片の断面を観察した結果を示す。
図20は中央部片の平面像で、Y1〜Y4で示す位置の断面像を図21〜24に示す。
先端部では扁平であった断面形状は、中央部片では長円が約500μmの円に近い楕円形状であった。左右の支え枠は下部で繋がり、口吻の鞘と同じような上に開いたC形構造になっている。産卵管本体はその開いた部分にはまっている。産卵管内は二つの輸送管が通り、何かが詰まっている。支え枠の下部のつながりは、両手を組んだように入り組んでしっかり繋がっている。 次に後部片を観察した結果を示す。
図25は後部片の平面像である。場所Z1〜Z3の断面像を図26〜28に示す。Z3の位置では産卵管本体は完全に支え枠の上に乗っている構造になっている。
次に、産卵管本体と支え枠の断面が、長さ方向にどのように変化しているかをまとめた。観察した断面像の上をなぞって、産卵管本体と支え枠を色分けした。その結果を図29aと29bに示す。産卵管本体を青色で、支え枠を肌色で示す。径の大きさを比較するため、両図とも同じ倍率で表示した。
図29で示す断面図は、すべて上部が蝉の腹部側である。腹部元から産卵管の構造変化について考察をする。断面Z3で二つの輸送管があるが、おそらく蝉の卵巣も左右にあるからであろう。産卵管本体は支え枠の上にあり、ガイドレールでしっかり繋がっている(Z3,Z2)。先端に行くほど全体は細くなり、産卵管は支え枠の中に取り込まれる(Y2,Y1)。さらに先端に行くと、産卵管本体の輸送管は一つになり(X4)、支え枠は左右に離れて、それを挟む構造になっている。どの位置でもガイドレールがあることから、樹木に穴を開けるときは、産卵管本体と支え枠を密接に接続した状態で、滑らせて別々に前後に動かすことができると考えられる。図14では、産卵管本体が支え枠より前方に出ているが、別の蝉では、支え枠が産卵管本体の前に出て、左右が密着して槍先のようになっているものもあった。先端では、この支え枠と産卵管本体の先が交互に前後して穴を開けると考えられる。卵は、輸送管を通り、先端で、X1,X2で観察される割れ目から穴に注入されるのであろう。 ・産卵管本体と支え枠の接触面 産卵管本体と支え枠はガイドレールでしっかり結合し、しかも前後に独立して動くようである。本当に二者がレールに沿って動くのかを確認したかった。断面観察で順次切断して短くなった中間部片を顕微鏡下で観察しながら、ピンセットと針でどちらかが動かないかと軸方向に押してみた。何度も試みた結果、一方の支え枠がレールに沿って移動した。 感動して早速、その状態を観察した。図30はその中間部片を断面方向から観察した写真で、右側の支え枠が手前に移動している。図31はその片を上から観察した写真である。右側の支え枠が手前に長さの約半分移動しているのが分かる。
この片を傾斜して、斜め断面方向から観察した結果を、図32〜37に示す。
図32,33の中央右にある黒い帯は、図18で定義したガイドレールを受ける溝である。図34〜37は、ガイドレールの下側の接触面を拡大して観察した写真で、鱗のような構造とその先には微毛が一面にあることが分かった。肌触りの良いベルベット(ビロード)が敷き詰められているようである。このベルベット構造が産卵管本体と支え枠の滑りをよくしていると考えられる。 次にその片を180度回転して(図38)、移動した産卵管本体の接触面を観察した。その結果を図39〜45に示す。
図39〜42及び図44は、ガイドレールの表面を観察した結果で、支え枠表面と同じようにベルベットのような表面をしている。また図43と図45はガイドレールの下部の表面で、同じようにベルベット表面をしている。 図41で観察できるように、一部にはベルベット表面を何か粘液のようなものが覆っている。これは、図33でも認められ、支え枠表面にもある。試料作製過程で、このような粘液が付着する可能性が薄いことから、一種の潤滑油の働きをする分泌物ではないかと思う。このようなベルベット表面構造と潤滑油によって、産卵管本体のピストン運動が容易にできるのだろう。
以上の観察の結果、図46の点線で示すように、接触面の両面には絨毛が生えたベルベット構造と、潤滑油の働きをする分泌液があることが分かった。想像もしなかった素晴らしい構造に、ただ感服するのみである。 図46のようなガイドレール構造を見て、昔使った計算尺を思い出し、探したら、机の引き出しから出てきた。構造が産卵管とよく似ているので紹介する。
私は学生時代と会社に入った頃、まだ電子計算機がなかった時代で、割り算、掛け算、平方根、対数、三角関数などの計算に計算尺を使った。図47は携帯用の計算尺で、長さが15センチで、カバンに入れて今の電卓のように持ち歩いた。工学部では、この計算尺と製図用の烏口が必須品であった。計算をするときには中身の滑尺を左右に動かし、カーソルの赤線に、固定尺と滑尺のメモリを合わせて計算する。懐かしい宝物が見つかった。 その計算尺の側面を撮影したのが図48である。上段は真横から撮影、下段は少し傾けて撮影した写真である。上段の写真と図29aのX4,X5断面を比較すると、非常に似ていることがわかる。計算尺の滑尺は、産卵管本体に対応し、ガイドレールの形状はそっくりである。計算尺は竹で精密に作られ、わずかな油分も浸みているので容易に滑らせて移動できる。産卵管本体は、ベルベット表面と潤滑分泌物で容易に滑らせて動かせるようになっている。蝉の産卵管を見て計算尺を作ったとは思えないが、実によく似ているのに驚いた。蝉は人類が誕生するはるかに前から、この機能を生み出して使っているのである。 −完− | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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