■ 雪虫の舞い!(ワタムシ−綿毛1)
12月2日、いつものようにリュックを背負って、ウオーキングを兼ねた買い物に行った。近道の小道に差し掛かると、子供たちのかん高い声が聞こえた。近寄ると、ゆっくりと飛んでいる白い小さな虫を追いかけていた。一人の女の子が、これ雪虫っていうんだよと、教えてくれた。恥ずかしながら、子供のころ中部地方で育った私は、北海道では良く知られた雪虫の存在を知らなかった。そういえば、最近庭でも見かける。気候の変動によるものか、それとも私の虫に対する知識が足りなかったのだろうか。良く観察してみたくて、買い物の帰りに再び立ち寄り、8匹くらいを手でそっとつかみ取り、レジ袋に入れて持ち帰った。後日、傷つけないように虫取り網を使って、さらに10匹を採集した。 今回は、この雪虫について調べることにし、まず、採集した雪虫を光学顕微鏡で観察することから始めた。 ・雪虫の綿毛
図1は採集した雪虫が休んでいる状態の写真である。頭部から尾部までの胴体は約3mmで、翅を含む体長は約7mmであった。中にはそれより小さいものもいた。 雪虫は、北海道地方では誰もが知っているアブラムシの一種で、害虫の一種である。秋の終わりになると、白い綿毛に覆われて、雪が舞うようにふわふわと飛来することと、北海道では初雪に近いことから、「雪虫」と俗称で呼ばれている。東京育ちの友人からは、子供のころ「しろっこ」と呼んで遊んでいたと聞いた。綿毛を持つ雪虫にはいくつかの種類がいるようだが、インターネットで調べると(資料1,2)、代表的なのが、トドノネオオワタムシとのことである。今回採集した虫も、おそらくトドノネオオワタムシであろう。 綿毛の詳細を見たかった。幸い翅を広げた雪虫がいたので綿毛を拡大して観察した。 図2〜4は背部から観察した写真であり、図5〜6は反転して腹部を観察した写真である。
雪虫の綿毛を拡大してみると、綿のように細かい繊維の集まりであることが確認できた。綿毛は腹部にも分布しているが、長い毛は腹部の側部から出ているように見える。雪虫の綿毛の成分は蝋物質であるそうだ。しかし、背中の綿毛を見ている限り、成人の日に、着物を着た女性がはおっている、ふさふさとした真っ白な毛皮のショールを思わせる。 ・雪虫の出産 電子顕微鏡で観察するため、かわいそうだが、そのまま机上に放置して死んで乾燥するのを待つことにした。 あくる日、確認のため容器を見て驚いた。緑色をした小虫が雪虫の周りにいる。害虫でも発生したかと、光学顕微鏡下に運んだ。 想像もできなかったシーンが目に入った。図7に示すように、雪虫が子供を出産してたのだ。そのわきには先に生まれたと思われる幼虫が動いている。さらに拡大すると(図8)、産道口から出ている幼虫の足が動いていた。雪虫は他の昆虫と同じように卵を産むのではなく、幼虫そのままを生んでいるのに驚いた。
採集した雪虫は、ほとんど動かず、死んだようになっていた。他の雪虫も子供を生みは始めた。危機になると、子孫を残すため本能的に出産をするのであろうか。 図9は他の雪虫で、生まれた子供が母親に甘え、まとわりついているように見えた。まもなく母虫は第2子を生み始めた(図10)。しかし、この後に、想像もしなかった、信じられないシーンを見てしまった。
第2子を出産していたが、図10の状態で、なかなか産道口から出なかった。ところがまとわりついていた第1子が母親の頭部から尾部に動いて行った。なんと、出産を助けたのである。
図11〜14は、第1子が出産を手助けしている様子を順次撮影した写真である。産道口に近寄った第1子は、産道口にとどまっている第2子を抱きかかえて、引き出していた(図11)。そして母親の背部に運んだ。間もなく第3子の先端が産道口から出た(図12)。第1子はさらに第3子を産道から引き出し、第3を完全に体外に出した(図13,14)。第1子が助産婦のように、次々と母親の出産を助けたのである。生命力のすごさ、神秘さを間近に見てしまった。感動の一時間以上の出来事であった。 いったい、雪虫はどんなライフヒストリー(生活史)をしているのか知りたくて、インターネットから情報を得た(資料1,2,3など)。それらから分かった事を自分なりに整理したのが図15である。
雪虫は、それまでトドマツの根っこで雌だけで増殖(単為生殖)していた虫が冬を迎え、ヤチダモの木に卵を生みに行くために急に綿毛が生えた虫になり、ヤチダモの木を求めて飛んでいたものである事が分かった。雪虫はヤチダモの木の幹に数匹の雄と雌の幼虫を生む。この雄雌が交尾し(有性生殖)1個の卵を生んで死ぬ。そして卵は越冬する。春になると卵が孵化する。この子供はすべて雌である。子供はヤチダモの芽の樹液を吸いながら親虫になる。6月下旬になると養分が少なくなるので、親虫に綿毛ができ、トドマツに飛んで移動する。この時も雪虫が観察できるはずであるが、飛ぶ数が少ないので目立たないようです。トドマツに飛来した虫は木の汁を吸いながら成長し、やがて根に寄生して増殖する。これが雪虫の一年の生活史である。雪虫の一年は、秋の終わりにヤチダモの木の幹に生んだ雄雌の幼虫が交尾して卵を生む(有性生殖)以外は、すべて雌だけで増殖する(単為生殖)事が分かった。 私が採集した雪虫はヤチダモの木に到達しなかったが、危機と感じ、幼虫を生んだのだろう。では、幼虫に雄と雌がいたのだろうか。数日後、もう一度採集した雪虫が入ったプラスチックケースの中を見たら、前に見た緑だけでなく褐色の幼虫が生まれていることが分かった。
図16は数日後の雪虫である。雪虫は哀れに死んで乾燥し黒くなり、特に腹部が縮んでいた。ところが、上部の褐色の幼虫と右下部の緑の幼虫は動いていた。生きているのである。文献から、緑の小さい幼虫(体長約0.85mm)が雄で、褐色の大きな幼虫(体長約1.1mm)が雌である事が分かった。また図7〜14で観察した幼虫は雄である事が分かった。雄雌の幼虫を腹部から拡大して撮影した写真を図17に示す。6本の足と触角が確認できる。また雌のわき腹には、もう綿毛があることがわかた。残念ながらこれらの幼虫は後日死に、乾燥してしまった。 ・電子顕微鏡による綿毛の観察−試み 光学顕微鏡で観察した、真っ白なふわふわ綿毛を、電子顕微鏡で高分解能で観察したくなった。綿毛が時間と共に無くなるのではないかと心配し、採取後数日たった雪虫を試料ホルダーに木工ボンドで固定し観察することにした。私は綺麗な写真を撮影したいので、通常、一般的に行われている金属コーティグ前処理をしている。最初の試料を金属イオンコーティグ処理してSEM観察して驚いた。処理前の光学写真を図18に、金属イオンコーティング処理をして観察したSEM像を図19に示す。
コーティング前に沢山あった綿毛が真空中で金属コーティングをした結果、腹部は破裂し、綿毛は無くなっていた。腹部が破裂したのは、半乾きの雪虫を真空中に入れたためであると想像する。金属イオンコーティングでは低真空中で放電させることにより、電極の金をイオン化させ、試料に金を微量付着させる。このイオンや光が、綿毛を溶かしてしまったと考えられる。この実験で金属コーティングは綿毛にかなりの損傷を与えることが分かった。試料作製は失敗したが、興味あるデーターになった。それは図19で見られるように、腹部が破裂したため、幼虫が中に詰まっている様子が分かったことである。ほぼ同じ大きさの8匹ほどの幼虫が認められる。これが図10〜14のように次々に産道を通して産み出されるのである。 なんとか綿毛を電子顕微鏡で観察したいと、まず綿毛の温度、イオン、電子線等による損傷の様子を調べることにした。綿毛は蝋でできていると説明されている。まず、綿毛がどの程度の温度に耐えられるかを実験した。乾燥した雪虫から綿毛の一部を取り出し、直径1cmの円筒ガラス瓶にいれ、それを稲の葉の実験でおこなったように、温度を測定しながら湯中に1分間浸す実験をした。その結果を次に示す。
図20は湯の温度を上昇させながら綿毛の変化を観察した結果である。綿毛に衝撃を与えないように、ガラス管の外側から撮影したので、写真の鮮明度は良くない。しかし、87℃では、やや綿毛が縮み始め、96度では完全に縮む事が分かった。すなわち、雪虫の綿毛は、90℃以上の熱で、縮むなどの熱損傷を受けることが分かった。実験前の綿毛と96℃中で変化した綿毛の変化の様子を図21に示す。 金属コーティングでは、どうしてもイオン、電子それに熱の影響を受ける。では、金属コーティングをしないでそのまま観察できないかと試みた。試料は帯電をできるだけ避けるため、図22に示すように、カーボン接着テープの上に綿毛の小片を乗せ、そのままSEMで観察してみた。加速電圧は比較的低加速の5kVで観察したが、数千倍に倍率を上げると、照射電子線密度が上がるため、帯電特有の異常に明るい像になった。そこで、図22の左下の白い四角で囲んだ極小片の視野(図23に拡大)を選び観察したところ、5千倍でも微細構造が撮影できることがわかった。しかし、2,3回の撮影ごとに、綿毛が縮んでいくことが分かった。その様子を図24,25に示す。
これは電子線照射により損傷を受けたと考えられる。 綿毛の組成や構造について詳しく知りたいとインターネットで探したところ、札幌医大のグループが分析していたことが分かった(資料3)。その結果は、雪虫の綿毛の主成分はこの種独特の組成を持ち、炭素が24から26の飽和の直鎖炭化水素であると報告されている。すなわち水素を伴う炭素が一重結合をして24〜26個一列に並んだ鎖状分子であるということである。このような単純な分子であると、熱や電子の衝撃により、簡単に結合が切られ、それが綿毛が縮む原因になっているのでないかと想像できる。 しかし、何とかして綿毛の微細構造を観察したかった。専門家や充実した研究所では、冷却など、損傷を回避できる手法があるかもしれないが、個人の設備や素人の知識では難しいと諦めかけていた。 ・電子顕微鏡による綿毛の観察−再挑戦 年末から正月にかけて、孫たちが遊びに来てくれた。しかし、綿毛の観察のことは頭を離れなかった。正月の行事が終わり、一人になって、放置しておいた雪虫を見たところ、綿毛は変化していないようであった。なんとか再挑戦したいという思いが湧き上がった。 前の実験で、コーティングをしないと、観察の際、電子線損傷が著しいことが分かった。そこで、ほんのわずかな量だけ金属コーティングできれば、観察の際の電子線損傷が避けられ、導電性も得られるのではと考え、とにかく残りの試料で条件を変えてコーティングをしてみることにした。コーティグの際、試料を電極から十分離し、1〜2秒の放電時間で間隔をおいて行うなど、いろいろ試した。その結果、変形が比較的少なく、電子線損傷に耐えられ、帯電も少ない試料ができ、SEM観察ができた。その結果を以下に示す。
図26は前処理に成功した雪虫の処理前の光学顕微鏡像である。採集してから一カ月も過ぎたが綿毛の変化は認められなかった。カーボンテープに接着するように、横向きに置き、一方の翅がカーボン接着テープに付着するようにした。次のステップとして、コーティング処理する際に真空中に入れることにより変化が起きないかを調べた。図27は真空中に保った後、外に出して撮影した写真である。わずかに変形、縮があるようだが、ほとんど変わっていなことが分かった。 次に、試料を標準位置より電極から離し、2秒の放電を二回行った結果を図28に示す。
翅の上部の綿毛は縮んでしまったが、下部の綿毛はかなり形状が保存されていることが分かった。試料の形状や放電状態により場所的に損傷の程度が異なるようだ。そこで、変形の少ない翅の下部の綿毛を詳細に観察した。
図30は翅の下部の綿毛の低倍率写真である。綿毛のふわふわした様子が保持されている事が分かった。また帯電現象も認められなかった。綿毛の並び具合、微細構造を調べるのに、ステレオ観察が適していると思い、15度傾斜させてステレオ写真を撮影した。わずかに金をコーティングしているためか、観察時の電子線損傷はだいぶ抑えられた。 図31はステレオ写真を撮影した視野を示す。
図32は視野Aの拡大写真である。綿毛はほとんど同じ径で、スパゲティのようである。束になっている部分と交叉している部分がある。図33は図32の中央部の拡大で、綿毛一本一本が識別できる倍率である。綿毛の径はほぼ2〜3μmである事が分かった。まず図33の視野のステレオ写真を撮影した。その写真を図34に示す。裸眼でステレオを見るのに、交叉法と並行法があるが、図34aには交叉法、図34bには並行法で見れるように左右の写真を配置した。
図34では、綿毛の一本一本が見える。ワラの束を見ているようでもある。この中央部を拡大して二本の綿毛を立体的に見たのが図35、さらに拡大して一本の綿毛の微細構造を立体的に見たのが図36、さらに拡大して綿毛の内部構造をステレオ観察したのが図37である。
綿毛は、約50nmの繊維が網目状に張りめぐらされた構造であり、その間にも何か薄い膜があるようだ。 綿毛の内部をもうすこし観察したいので、途中で途切れた先端部を観察した。それが視野B、Cの観察である。是非ステレオで見ていただきたい。
視野Bの拡大像を図38に示す。中央の四角で囲んだ視野の拡大を図39に示す。 中央の先端部の拡大像を図40、41に示す。
先端部を断面方向から見たステレオを図42、強拡大ステレオを図43に示す。
視野Cの拡大像を図44、45に示す。この綿毛の先端は斜めに切れているようである。その拡大ステレオを図46、47に示す。
視野Bからは綿毛の断面のステレオ観察ができ、視野Cからは少し斜めに剥がれている先端部のステレオ観察ができた。これらの観察の結果、直径50nm程度の繊維が綿毛の内部にも網目状に張りめぐらされていて、その間には薄い雲のような組織もあることが分かった。 ・考察 雪虫の出産の様子を光学顕微鏡下で観察することができた。次に綿毛を電子顕微鏡で高倍のステレオ観察をする事が出来た。綿毛は2,3μmの径で、束になったり交叉したりしていた。またその綿毛一本の内部は、直径50nm程度の繊維が網目状になっていて、さらに雲のような薄い膜構造も認められた。この綿毛が、どのようにして体内から出てくるのかも不思議である。これは次の課題にしたい。 観察時のいろいろな損傷は避けられないが、今回の観察は比較的少なくできたのではないだろうか。これについては、専門家の観察例などと是非比較をさせていただきたい。 綿毛を持つ雪虫には10種類くらいあるようである。今回採集した雪虫は、本当に代表的なトドノネオオワタムシであろうか、それとも本州でも生育できる他の種であろうか。なぜなら、トドノネオオワタムシが住み着くヤチダモの木やトドマツの木は主に北海道地方に分布するからである。幼虫も観察できたので、是非専門家に見てもらいたい。 ・追記 後日、雪虫の研究の権威者である北海道大学の秋元信一教授に、私が撮影した雪虫の写真を見ていただいた。その結果、私が採集した雪虫は、トドノネオオワタムシではなく、ヒイラギハマキワタムシではないかというコメントをいただいた。この虫は、冬はヤチダモではなくキンモクセイやヒイラギに寄生し、初夏から秋までは針葉樹などの根に移動するとのことであった。確かにキンモクセイやヒイラギは近辺にある。先生のコメントで納得ができた。 参考資料 1. 北海道新聞 雪虫ってどんな虫? http://www5.hokkaido-np.co.jp/kyouiku/fumfum/main-2005/1105/index.html 2. さっぽろサイエンス観光マップ ふわふわ雪虫 http://d.hatena.ne.jp/costep_webteam/20061123 3.日本油脂生化学研究会講演要旨 ユキムシの綿虫の脂質組成 http://www.sapmed.ac.jp/~eri/yukimusi_yousi.htm 4.秋元信一(北大教授) 環境昆虫学概論 http://insect3.agr.hokudai.ac.jp/~akimoto/index.html −完− | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Copyright(C)2002-2008 Technex Lab Co.,Ltd.All rights reserved. |