■蕎麦を味わう(その5)

前回(その4)は、乾麺蕎麦を自分で茹でて、それを乾燥させて断面を観察した。蕎麦は、打ち方はもちろん、茹で方においても微妙な勘や技術が必要なのに、それを乾燥させて電子顕微鏡で観察するということは、かなり無謀なことであり、関係者からは非難を浴びるかもしれない。正に、スルメを見て、生イカを想像するようなものである。しかし、高価な専門装置や技術を持たないアマチャーサイエンティストでも、何かの情報が得られるのではと、この実験を続けている。
今回は、町の蕎麦屋さんで食べる、せいろ(又はざる)蕎麦の構造がどんなになっているのか知りたくて、調べた。蕎麦店で食べている間にこっそりプラスチックケースや厚紙袋に十数本の蕎麦を入れて持ち帰り、自室に吊るして乾燥させて顕微鏡観察をした。蕎麦は、茹でた後、冷水で洗い締めて、出されるときが一番美味しいように作られる。従って、持ち帰る間にのびて(腰が弱くなる)多少変質することも考慮する必要がある。 まずは、有名な蕎麦処S屋の蕎麦を観察した。この店のせいろは比較的白く、腰もそれほど強くないが、さすが口当たりは良かった。
はじめに、断面全体の光学顕微鏡像と電子顕微鏡像を示す。

S屋セイロ蕎麦断面の光学顕微鏡像 S屋セイロ蕎麦断面の電子顕微鏡像
図1 S屋セイロ蕎麦断面の光学顕微鏡像 図2 S屋セイロ蕎麦断面の電子顕微鏡像


試料は前回と同様に、自然乾燥させた後、手で折って断面を出した。図1に示すように、乾燥させた蕎麦は半透明で、ところどころに茶色の薄片が見えた。多分、蕎麦の実の種皮(甘皮)であろう。図2に電子顕微鏡写真を示す。断面にはところどころに空洞が認められた。前回の観察でも、澱粉が糊化する際にできる隙間の集合から空洞ができるのが分かったが、S屋の空洞は大きく直径が0.2mmくらいある。大部分は劈開面が平坦な糊化した部分が多い。赤枠部の拡大を図3に、青枠部の拡大を図4に示す。

赤枠部の拡大像 青枠部の拡大像
図3 赤枠部の拡大像 図4 青枠部の拡大像


図3の左上部は空洞の内壁部で、円盤状の粒子が認められる。右下部は不規則な粒子の集合で、胚芽であると考えられる。図4の中央のヒモ状構造は、甘皮と考えられる。両側の平坦構造は、澱粉が糊化した部分である。
次に、これらの構造の分布状態を調べるため、S屋の蕎麦の代表的な二断面を選び、糊化部を青色で、胚芽部を肌色で、甘皮部を紫色で、さらに空洞内壁に円盤粒子または引き伸ばされた構造がある部分を黄緑色で塗りつぶした。

S屋の蕎麦断面1の構造分布 S屋の蕎麦断面2の構造分布
図5 S屋の蕎麦断面1の構造分布 図6 S屋の蕎麦断面2の構造分布


色分けすると、胚芽や甘皮以外の大部分が糊化している事が分かった。

次に、M寿司屋での宴会で出された蕎麦の断面を観察して色分けした。

M屋の蕎麦断面1の構造分布 M屋の蕎麦断面2の構造分布
図7 M屋の蕎麦断面1の構造分布 図8 M屋の蕎麦断面2の構造分布


この蕎麦は空洞が小さく、ほとんどの部分が糊化していた。前回(その4)観察した構造によく似ている。

次は、蕎麦を得意とする和食処Gの蕎麦を観察した。給仕さんに聞いたら、六割蕎麦との事であった。

和食処Gの蕎麦断面1の構造分布 和食処Gの蕎麦断面2の構造分布
図9 和食処Gの蕎麦断面1の構造分布 図10 和食処Gの蕎麦断面2の構造分布


この蕎麦は、中央部に大きな空洞があることが特徴である。

次は、町のいわゆる蕎麦屋さんUの蕎麦を観察。ここのメニューには九割蕎麦と書いてあった。

蕎麦処Uの蕎麦断面1の構造分布 蕎麦処Uの蕎麦断面2の構造分布
図11 蕎麦処Uの蕎麦断面1の構造分布 図12 蕎麦処Uの蕎麦断面2の構造分布


この九割蕎麦には、胚芽が多くあった。

最後は、N駅の立ち食い蕎麦屋さんの蕎麦。

N駅蕎麦の蕎麦断面1の構造分布 N駅蕎麦の蕎麦断面2の構造分布
図13 N駅蕎麦の蕎麦断面1の構造分布 図14 N駅蕎麦の蕎麦断面2の構造分布


この蕎麦には、大小沢山の空洞があり、半数程度の断面では中心の空洞が大きく、竹輪状になっていた。

以上、いろいろな店の蕎麦の断面を観察したが、店によりかなり異なる事が分かった。全体として言える事は、蕎麦の澱粉はほとんど糊化していたことである。また、空洞の大きさや数にはかなりの差が認められた。これが、蕎麦粉の種類や打ち方によるのか、あるいは茹で方によるのか、さらに味と関係があるのか知りたいものだ。

今まで観察した断面中で、茹で状態や腰の強さに関係すると考えられる空洞内壁を詳細に観察した。

S屋の蕎麦断面の空洞内壁1 S屋の蕎麦の空洞内壁2
図15 S屋の蕎麦断面の空洞内壁1 図16 S屋の蕎麦の空洞内壁2


M屋の蕎麦断面の空洞内壁1 M屋の蕎麦断面の空洞内壁2
図17 M屋の蕎麦断面の空洞内壁1 図18 M屋の蕎麦断面の空洞内壁2


和食処Gの蕎麦の空洞内壁1 和食処Gの蕎麦の空洞内壁2
図19 和食処Gの蕎麦の空洞内壁1 図20 和食処Gの蕎麦の空洞内壁2


蕎麦処Uの蕎麦の空洞内壁1 蕎麦処Uの蕎麦の空洞内壁2
図21 蕎麦処Uの蕎麦の空洞内壁1 図22 蕎麦処Uの蕎麦の空洞内壁2


N駅蕎麦の蕎麦断面の空洞内壁1 N駅蕎麦の蕎麦断面の空洞内壁2
図23 N駅蕎麦の蕎麦断面の空洞内壁1 図24 N駅蕎麦の蕎麦断面の空洞内壁2


N駅蕎麦以外の空洞内壁には、直径約5μm程度と15μmの二種類の、ぼたもち状の顆粒が認められた。5μm程度の顆粒は蕎麦の澱粉が、15μm程度の顆粒は、つなぎのために混ぜた小麦の澱粉が糊化する途中の状態であると考えられる。このように、空洞内面にわずかに糊化途中の澱粉が残っている状態が、適当な茹で加減ではないかと思う。それが、蕎麦を食べたときに腰がある源になっているのではないだろうか。他方、N駅蕎麦屋の空洞内壁に糊化顆粒が認められないのは、茹で過ぎで、すべての澱粉が完全に糊化したと考えられる。確かに、あの時の蕎麦は腰がなかった。

味というのは、微妙な五感によるものであり、その原因は舌触り、のど越しなどいろいろな条件に依存すると考えられる。従って、電子顕微鏡で観察できる微細形状だけで評価するのは不十分であるが、何かその糸口が分かればと思う。

                                         −完−





タイニー・カフェテラス支配人 文ちゃん

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